2009年3月の記事一覧

ロダン《地獄の門》における鋳造問題

ロダン《地獄の門》における鋳造問題 講師:黒川弘毅氏(武蔵野美術大学教授)
埼玉県立近代美術館

彫刻ボランティア特別研修会
リポーター : K.K.

 彫刻家で、ブロンズ作品の保護・修復にも活躍されている黒川弘毅先生による特別講座、彫刻ボランティアとしては3回目となります。
 過去2回は、酸性雨などによる屋外彫刻の腐食に対する保護と修復、古代ギリシャにさかのぼる彫刻の原点への眼差し、いずれも実作者としての黒川先生の視点がよく感じ取れる講座で、われわれボランティアにとって、非常に有益かつ刺激的な内容でした。
 今回のテーマは“ロダン「地獄の門」における鋳造問題”。これだけでは何が語られるのか、よくわかりません。冒頭、黒川先生いわく、「今日の講座では、彫刻の廃頽について、見ていただくことになります」。 講座は2面のプロジェクタを使うという、立体的な進行となりました。
 「地獄の門」は言わずと知れたロダン芸術の集大成、というべき大作です。1900年のパリ万博にて、石膏原型が展示されました。実際にブロンズ像として鋳造されたのは1920年代に入ってからのことで、1917年に死去したロダンは完成形を見ることはありませんでした。
 鋳造を請け負ったのはルディエ鋳造所で、ここでは4体の「地獄の門」が鋳造されました。そのうちの一体は、東京上野・西洋美術館に設置されています。松方幸次郎の注文によるもので、これが最初の鋳造と言われています。
 さらに3体の鋳造が、クーベルタン鋳造所にて行われ、そのうちの一体、静岡県立美術館の「ロダン館」に設置されたものは、1990年から鋳造が開始され、3年後に納品されています。
 ロダン自身は、自ら石を彫るという制作はあまり行わなかったそうです。粘土による原型を作り、それを工房、鋳造所との連携によって、さまざまなサイズに複製(ムーラージュ)し、それらをさらに組み合わせる(アッサンブラージュ)ことで、多くの作品を生み出しました。“星とり”“パンタグラフ”といった技法が生み出され、さまざまな素材、サイズのバージョンを作ることが容易になっていったのです。
 ルディエの鋳造手法は“生砂型(グリーン・サンド・モールド)”という手法で、鋳造されたブロンズ像は角が膨らむ傾向があるそうです。一方のクーベルタンは“ロスト・ワックス(セラミック・シェル)という”、1960年代以降の工業的手法を取り入れた鋳造を採用。仕上がったブロンズは平面部がややへこむような特徴があります。
 この2つの異なる鋳造による「地獄の門」を、西洋美術館と静岡県立美術館で見比べることができるわけですが、黒川先生は静岡の鋳造を見たときに、「なんだかグニャっとした感じを受け、違和感を持ちましたと」いうことでした。わたしも静岡で実際に見た経験がありますが、西洋美術館のそれから感じ取れるソリッドさには欠けるような気がしていました。静岡の作品が鋳造されてあまり時間がたっていないせいかとも思いましたが、そもそもの鋳造法、そして素材そのものの原料比も違うであろうということには気づきませんでした。
 黒川先生は実作者としての直感から違和感を抱き、7体ある「地獄の門」を多くの資料を基に検証していきます。複数の石膏原型から、違う手法、違う素材で鋳造された7体のすべてを、ロダンの真作と捉えてよいものか、という問いかけでしょう。真作でなければ偽作、ということではなく、ロダンの生前にはなかった手法で鋳造された複製に、作家のパトスは込められているのか?
 「神への捧げ物」との意味を湛えたギリシャ古典彫刻に、芸術としての原点を見出す黒川先生ならではの鋭い視点と深い検証には感銘を受けました。