鮮やかな色彩と繊細な色調の変化が印象的な瑞々しい木版画。遠い記憶を呼び起こす懐かしさと親密さが詰め込まれた詩的なコラージュ。これらの作者である内間安瑆(1921-2000)と内間俊子(1918-2000)は、戦後に東京とニューヨークで作家として活躍すると同時に、日米の作家たちをつなぐ架け橋となる重要な役割を担う存在でもありました。
企画展「内間安瑆・俊子展 色を織り、記憶を紡ぐ」は、作家夫婦である二人の独自の歩みを辿る展覧会です。
色を織る―木版画を探究し続けた内間安瑆
内間安瑆は、沖縄からアメリカへ移住した両親の元に生まれた日系二世の作家です。1940年に来日すると、翌年4月から早稲田大学専門部建築科に入学。しかし、元々絵画に関心を抱いていた安瑆は、在学中から熊岡洋画研究所で油彩画を学ぶようになります。終戦後も日本にとどまり、読売アンデパンダン展などに出品を重ねるなか、1954年、とある出来事が安瑆に転機をもたらします。進駐軍で現代版画コレクターであったオリヴァー・スタットラーによる日本人版画家へのインタビューに、通訳として同行することとなったのです。その取材の過程で棟方志功や恩地孝四郎といった重要な版画家たちと知り合い、彼らの木版技術を直接目の当たりにした安瑆は、木版画での表現へと飛び込んでいきました。
安瑆の木版画は、時代ごとに変化を見せていきます。探究を開始した1950年代中頃には、恩地からの影響か、様々な素材を版として用いるマルチブロックの技法での表現が試みられていますが(図1)、1957年頃には、棟方を思わせる太く黒い線による画面構成が登場します。妻・俊子とともに帰米する1959年頃からは、墨絵や浮世絵のぼかし技法を取り入れた、繊細な彫りによる空気を含んだような独自の版表現へと移行していきました。本格的な木版画制作を始めた頃から『芸術新潮』の新進作家特集で取り上げられたり、1956年にはシェル美術賞展で3等を受賞したりと一定の評価を得ていた安瑆は、1970年、ヴェネチア・ビエンナーレに《Misty Morn》(図2)などを出品し、国際的な評価を確立させました。
そして、同年のグッゲンハイム・フェローシップ受賞を機に実現した約5ヶ月にわたるヨーロッパ、アジア、南米での研究旅行や、数年に及ぶ西洋美術の再研究を経た安瑆は、光と色彩がゆらめく〈Forest Byobu 森の屏風〉(ページ冒頭に掲載)の世界へと辿り着きます。「色面織り」と呼ぶ独自の木版画技法を用い、季節、気候の変化によって移ろう自然の様子や光の動きを色面モザイクで見事に表わしたこのシリーズは、木版画家としてのひとつの到達点となりました。しかし、「色面織り」の表現をさらに深化させ、次の展開が見えてきた矢先の1982年、安瑆は脳卒中で倒れ、以降制作を再開することは叶いませんでした。
記憶を紡ぐ―内間俊子の豊かな創造世界
一貫して木版画技法の探究を続けた安瑆に対し、内間(旧姓・青原)俊子は油彩、木版画、コラージュと、様々なメディアによる表現を模索した人物でした。俊子は父親の仕事の関係で中国の大連で幼少期を過ごし、その後兵庫に暮らします。美術家を目指して1950年代初頭に上京し、ラヂオプレス社に入社。デザイン部門で先に勤務していた安瑆と知り合います。初期の俊子について考える際、デモクラート美術家協会での活動は見逃せません。瑛九が中心となって創立したデモクラート美術家協会は、自由と独立の精神による創作を目指した前衛グループで、俊子は1953年から解散となる57年まで在籍しました。ここで泉茂や靉嘔らと知り合い、渡米後も親しい交友が続くこととなります。当初、俊子はカラフルで幻想的な油彩画を制作していましたが(図3)、1954年には久保貞次郎の呼びかけで『瀧口修造の詩による版画集 スフィンクス』の制作に参加し、最初の木版画作品を発表しています。そして1956年には吉田千鶴子、小林ドンゲ、野中ユリらと女流版画会を結成します。1959年の渡米後は、女流版画会の海外展の開催にも貢献しました。しかし、女流版画会が解散した1966年頃から、俊子は次第に身近なものや骨董市で手に入れたアンティークのオブジェなどによるコラージュ作品を手がけるようになります。版画からコラージュへの移行は一見、唐突な方向転換のようにも思えますが、木版画制作でも実物の鍵やレースなど身の回りの素材を用いていた俊子にとって、コラージュへの移行は自然な流れだったのでしょう。そして何より俊子は、多くの人が見過ごしてしまうような何気ない素材を大切に拾い上げ、そこに自身の記憶や想い出を重ね合わせて想像を広げる能力に長けた人物でした。そんな彼女のコラージュには、自身が好んで蒐集したもの――貝殻、古いポストカード、ドライフラワー、楽譜の切れ端など――が繰り返し登場します(ページ冒頭掲載の《1907のポストカード》)。それらを組み合わせることで紡ぎ出される独自の物語は、作者のごく私的な感覚にもとづいているにもかかわらず、見る者に親密さや懐かしさを与えてくれます。
安瑆が脳卒中で倒れた後は、家事や介護と並行しての制作活動となりましたが、彼女の創作意欲が衰えることはなく、隙間時間を見つけては制作に励みました。時折、愛する家族が使用した道具なども取り込んだ俊子のコラージュ(図4)は、彼女の人生そのものを凝縮していると言えるでしょう。
安瑆については2014年の沖縄県立博物館・美術館での展覧会以来、約12年ぶりとなる回顧展開催、俊子については初期から晩年までの活動を紹介する初めての機会となります。また、恩地や棟方に加え、イサム・ノグチや長谷川三郎、泉茂、瑛九など二人と深い交流のあった人物の作品も取り上げ、日米のアーティストや文化人のネットワーク形成に尽力した夫妻の姿にも焦点を当てています。二人が築き上げた唯一無二の豊かな芸術世界を、展示室でぜひお楽しみください。