この度、埼玉県立近代美術館は、ふるさと納税制度を活用したクラウドファンディングのプロジェクトにより、フィンランドのデザイナー、エーロ・アールニオが1960年代半ばに手掛けた名作椅子《ボールチェア》を収集することができました。開館当初からデザイン・チェアを収集し、「椅子の美術館」として親しまれてきた当館の歴史の中においても、忘れがたいプロジェクトのひとつになりました。ご支援をいただきました皆さまに厚く御礼を申し上げるとともに、《ボールチェア》の幅広い活用を目指していきたいと考えております。
アールニオはどのようなデザイナーで、《ボールチェア》はどういった背景で制作されたのでしょうか。60年以上経た現在でも、この椅子が世界中のファンを魅了する理由はいったいどこにあるのでしょうか。
アールニオは1932年にヘルシンキで生まれています。フィンランドは第二次世界大戦における大国の争いに翻弄された歴史があり、アールニオも戦時下の社会を体験していますが、本人が後に語ったところによれば、子供の頃は絵を描いたり、模型を組み立てたりするのが大好きだったということです(註2)。戦後、建築事務所での研修を経て、1954年にヘルシンキの工業芸術学校に進学し、建築デザインを学びます。卒業後、1960年から2年ほど、フィンランドの世界的な家具会社アスコ社でデザイナーとして働き、職人との協働作業の経験を積んでいます。そして、1962年、30歳の時に独立して、デザイン事務所を構えることになりました。
1950年代末からイタリアのカントゥの国際家具コンペティションで受賞するなど、精力的に活動していたアールニオがフリーランスになった直後に意欲を注いだのが、《ボールチェア》の制作でした。アールニオは、新素材として普及し始め流線形のボートに使用されていた繊維強化プラスチックを、家具へ転用することに関心を抱いていました。曲面や球体にすると素材の強度が生かせる繊維強化プラスチックの特性に着眼し、内部に腰を下ろせるボール型のシェル構造の椅子を構想し、試作品を制作します。アールニオの革新的なアイディアに着目したアスコ社がその製品化を試み、1966年のケルン国際家具見本市で《ボールチェア》を発表したところ、瞬く間に世界中から脚光を浴びるようになりました。アールニオは全く意識していなかったそうですが、プラスチック系の素材を用いた《ボールチェア》の球体状の軽やかなデザインが、1960年代に多くの人が憧れていた近未来的なSF世界や宇宙的なイメージを喚起したのでしょう。スペースエイジといわれるこの時代の愛すべきデザインのアイコンとして、《ボールチェア》は現在まで語り継がれています。
ところで《ボールチェア》をもう少し広い観点から探っていくと、この椅子に関わる歴史的あるいは同時代的な文脈が、いくつか浮かび上がります。
例えば、堅苦しさがなく、遊び心を感じさせる《ボールチェア》は、戦前のドイツのバウハウスなどの流れに見られる、無駄をそぎ落とし機能性を重視する合理主義的なデザインとは異なる傾向にあります。むしろ《ボールチェア》は、フィンランドの先達の建築家、アルヴァ・アアルトが手掛けた椅子《パイミオ》(デザイン:1930-31年)の穏やかなデザインや、同じくフィンランドで生まれアメリカで活躍した建築家、エーロ・サーリネンによる椅子《チューリップ・チェア》(デザイン:1956年)の有機的な形態のデザインの系譜にあると言えるでしょう。また遊び心のあるデザインは、アキッレ・カスティリオーニといったイタリアのデザイナーたちに通じる要素があり、アールニオの趣向はイタリアのデザインとも親和性が見出せます。実際にアールニオは、最初期からコンペティションなどを通じて、イタリアのデザイン界とも関わっています。
世代的な側面に目を向けると、アールニオは1960年代のカウンター・カルチャーやポップ・カルチャーの影響を受けた世代にあたります。1960年代は、大衆的なイメージを扱うポップ・アートが美術界で話題になると同時に、スウィンギング・ロンドンと呼ばれる英国の若者文化が登場し、ビートルズの音楽やカラフルで斬新なファッションが流行しました。因習的な規範、価値観、美意識を刷新しようとする、同時代の新たな潮流の只中で、《ボールチェア》が誕生し注目されていった点は、文化史的に見逃せないところでしょう。
さらに、椅子の内部に身を置けば、周囲から遮断された自分だけの部屋となる《ボールチェア》は、当時の実験的な建築動向に連なる特質も指摘することができます。すなわちどんな場所に置いても、プライベートな環境を即座に保てるというこの椅子のアイディアは、同時代のラジカルな建築家等が夢想/構想した極小単位の住居、移動可能な極小の建築などに通じるからです。例えばウィーンの建築家ハンス・ホラインは、1965年のパリ・ビエンナーレから参加依頼を受け、電話ボックスを元にした住居《極小環境》を、ヴァルター・ピヒラー、エルンスト・グラフと共に構想しています。実現しなかったものの、プライベートな環境を確保しつつ、装備された電話やテレビなどの通信技術を通して外界とも接触できるというプランです。ホラインによるこの実験的なコンセプトは、後年に撮影された写真ですが、《ボールチェア》の中で電話をするアールニオのプロモーション用のイメージに見事に重なりあってきます。
その後、アールニオは《ボールチェア》の続編といえる、吊り下げられた透明な球体の中に座る《バブルチェア》(デザイン:1968年)を発表し、更なる注目を集めます。1970年代以降も、ポニー(小型の馬)をモチーフにした椅子、照明器具、子供向けの家具など、主にプラスチック系の素材を用いてユーモアに溢れたデザインを次々と発信していきました。デザイン大国として知られるフィンランドの戦後を代表するデザイナーとして、今年94歳を迎えるアールニオは、現在も活動を続けています。