桔梗柄の着物をまとった女性が黒い盥に張った水面を覗き込んでいます。そこに映るのは、空に浮かぶ星々です。かつて、七夕にはこのように星を眺めて楽しむ風習がありました。《星祭り》(上部図版)は、小村雪岱(1887~1940)が昭和期に描いた作品です。淡い色彩のなか、着物の模様と星の鮮やかな青が映え、盥や帯の黒が画面を引き締めています。女性の表情は、一心に星を見つめているようにも、あるいは物思いにも耽るようにも見え、印象的な一場面となっています。
雪岱は埼玉県の川越に生まれ、東京美術学校で日本画を学んだあと53歳で亡くなるまで、本の装幀や小説の挿絵、歌舞伎の舞台装置、肉筆画制作など、様々な分野で活躍した美術家です。デザイン性の高い図柄や、冴えわたった描線による人物像、華やかな舞台背景など、小説家や役者の意図を的確に汲み、周囲の期待以上の完成度で描かれた作品が、今も数多く残されています。
企画展「密やかな美 小村雪岱のすべて」では、雪岱がどのような作家、文化人と交流し、協働して作品を生み出したのか、「人とのつながり」に焦点を当てて雪岱の画業をご紹介します。ここでは、3人の作家と4つの作品を取り上げてご紹介します。
『日本橋』―生涯の師・泉鏡花
雪岱が、終生崇敬した人物は、小説家・泉鏡花(1873~1939)です。鏡花は、日本の浪漫主義、幻想文学を代表する作家で、300以上の小説、戯曲を手がけました。東京美術学校在学中、雪岱は初めて鏡花の作品を知ります。繊細で幻想的な独自の世界にすっかり魅了された雪岱は、古雑誌を探して小説を読みふけり、鏡花の小説を刊行する出版社に出入りする人がいれば、鏡花はどんな人物なのか聞くほど、のめり込みます。1908年に美術学校を卒業後、画家として大きな仕事に恵まれない雪岱は細々と依頼仕事を受けており、翌1909年、肖像画の模写制作の依頼を受けたことがきっかけで、依頼者の仲介によって鏡花に出会います。鏡花と交流を深めた雪岱は、1914年、鏡花の書下ろし小説「日本橋」の装幀を手がけることになりました。隅田川の両岸に蔵が立ち並ぶ様子を淡い色彩で描き、そこに無数の蝶を軽やかに配置した表紙(図1)を開くと、春夏の日本橋の景色が広がります(図2)。そして、裏見返(図3)には、秋冬の光景が描かれ、装幀全体で、東京日本橋を舞台にした小説の世界をイメージ化させています。本作は雪岱にとって初の大仕事ながら高い評判を呼び、その後雪岱は、鏡花本28作の装幀に携わりました。それは、鏡花本の装幀を手がけた鏑木清方、鰭崎英朋ら名だたる画家の中で最も多い数です。雪岱の装幀は、いずれも色彩豊かで繊細な意匠があしらわれており、鏡花、そして鏡花が生み出す創作世界への深い敬愛の念が感じられます。
《江戸役者》―江戸趣味の極致・邦枝完二
鏡花に続き、雪岱がその才能を発揮した相手と言えるのが、邦枝完二(1892~1956)でした。1932年、邦枝と初めてタッグを組んだ作品が、歌舞伎役者・八代目市川團十郎を描いた「江戸役者」(図4)です。雪岱は、浮世絵の役者絵を参照し、名優の姿を印象強く描き表しました。歌舞伎の見得を思わせる独特の表情やポーズ、モノクロの対比が美しい画面構成など、雪岱の挿絵は、小説とともに人気を呼びます。その後も、江戸期の人気の茶屋娘・おせん(図5)や、数奇な運命に翻弄され、強盗殺人で死罪となった高橋傳、通称お傳(図6)など、実在の人物を主役にした邦枝の小説で挿絵を手がけ、人気挿絵画家の名を不動のものにしました。
紙本墨画 東京国立近代美術館(2週間毎にページ替え)
紙本墨画 埼玉県立近代美術館(前期展示)
ところで邦枝は、建築をテーマにした座談会に参加した際、雪岱は、人物よりも「芝居で言う屋台組み」が非常にうまい、と雪岱の建築表現を称賛しています。自身の作品で見事な女性像を生み出した雪岱への評価として興味深い発言ですが、雪岱と公私ともに交流し、雪岱にとって憧れの日本画家・鏑木清方(1878~1972)もまた、「たとえば黒板塀でも建仁寺垣でも、河岸に立ちならぶ並蔵でも、一度小村さんの筆にかかれば、あの嫋々とした美女の分身でもあるかのよう」(「序文」『小村雪岱画集』1942年)と、雪岱の建築物の表現に賛辞を寄せています。確かに、雪岱は《星祭り》のような美人画のみならず、風景画にも優品をのこしています。1924年頃の作品《青柳》(図7)では、俯瞰された家屋とその室内の様子が描かれていますが、そこはかとなく人の気配を感じさせる、情緒のある光景となっています。こうした雪岱の独特な風景への意識は、挿絵や舞台背景のような絵画の他、映画の世界にも活かされています。
映画「春琴抄 お琴と佐助」―谷崎潤一郎の文学世界
雪岱が協働した著名な作家のひとりに、谷崎潤一郎(1886~1965)がいます。谷崎は装幀に強いこだわりがあり、橋口五葉や山村耕花、小出楢重、棟方志功など当代人気の画家がその装幀を手がけています。雪岱は、『近代情痴集』(1919年刊行、MOMASコレクション「小村雪岱と谷崎潤一郎」にて展示中)など、装幀を数作手掛けています。さらに、雪岱は映画の世界で、谷崎の作品に深く関わる経験をしています。
谷崎の「春琴抄」は、薬種商の娘で、盲目の音曲師・お琴と、彼女に献身的に尽くす奉公人・佐助の関係を描いた小説で、川端康成らから当時絶賛された、谷崎の代表作のひとつです。1935年、谷崎の「春琴抄」を原作に映画化した「春琴抄 お琴と佐助」で、雪岱は初めて本格的に映画の仕事に携わります。雪岱は美術考証担当として、舞台のセットから役者の衣裳、メイクまですべてを担当しました。安請け合いして後悔した、と述べる程、雪岱にとって困難な仕事だったようですが、特に、馴染みのない大阪の商家や街並みの舞台セットには苦労したようです。大阪へ赴き、家屋をつぶさに観察してその構造を学び、伝統的な街並みを眺めて大阪独特の風情を体感します。こうして、雪岱は谷崎文学の特異な雰囲気を尊重しながら、土地の臨場感を映画に取り入れようと、家屋のセットを複数考案します。映画は評判を呼び、人気作となりました。
最後の作品「白鷺」
「春琴抄 お琴と佐助」の他にも、雪岱は数作映画の美術考証に携わります。それらの経験の集大成と言えるのが、泉鏡花の小説を原作にした映画「白鷺」です。小説「白鷺」は、芸者に身を落とした娘と若い日本画家の悲恋を描く内容で、1909年に新聞連載されていました。鏡花が亡くなった翌1940年、映画化が決定します。監督・島津保次郎が雪岱に声をかけると、「泉先生に捧げる意味でも、一生懸命やりますよ」と気合充分に応じました。しかし、100枚以上の舞台セット図、衣装デザインを作成する最中、雪岱は自宅で倒れ、急逝します。雪岱が活躍する契機となった『日本橋』から26年、最後の仕事となったのもまた、鏡花の作品だったのです。翌1941年に公開された映画「白鷺」では、かつて雪岱が手がけた鏡花本のように、幻想的で美しい光景が映し出されます。映画を見た雪岱の妻は、鑑賞後、あの画家は主人です、と涙したと伝わっています。まるで、鏡花世界に憧れ続けた雪岱が、ついにその世界へ入り込んでしまったかのような、そんな想像をさせられるエピソードです。
雪岱没後、多くの人がその早すぎる死を悼みました。雪岱と親しく交流した小説家のひとり、里見弴は追悼文のなかで、雪岱を「名ワキ役」と称しました。それは、挿絵や舞台、映像の世界において、作家や役者の存在を立てながらも、密やかに独自の美意識を込めた雪岱にふさわしい形容と言えます。
本展は、当館で2009年度に開催し、ご好評いただいた「小村雪岱とその時代 粋でモダンで繊細で」以来、およそ15年ぶりの雪岱展となります。多くのご所蔵先にご協力いただき、650点超の資料を前後期に分けてご紹介します。「一般券」と「大高生券」には、2回目以降の観覧料が2割引になる「リピーター割引」もございますので、ぜひご活用のうえ、複数回ご来場ください!