稲垣美侑
制作のモチーフにされている家、土地、庭などに注目したきっかけを聞かせてください。
これまでの制作では、自分の身近な環境をはじめ、家や空き地、庭先や縁を持った土地といった特定の場所=所在をめぐる日常の出来事をモチーフに制作を続けてきました。制作の根っこにある関心の一つは、主体と場所との相互作用的な関係によって生まれる固有のイメージというものに、表現を通して触れることにあります。そのような動機から作品は主に人の居る場所を起点に、その所在と輪郭を探るような制作を試みてきました。ここでの輪郭というのは、目に見えているとされるものを絵の中で問い、咀嚼することで浮上するイメージのあり方を指しています。
「家」というものに意識的に関心を持つようになった最も大きな出来事は、学部1年の終わりに起きた東日本大震災でした。突如起こった自然災害や原発事故に、慣れ親しんだ土地を離れることを余儀なくされる人もいれば、離れずにその土地で生きようとする人もいました。単に故郷という言葉にまとめきれないような、誰かにとっても、異なる生き物にとっても、何かかけがえのない生きる場所が存在しているのだとあらためて気づかされたとき、日常の積み重ねから生まれる景色や場所というものに対し、次第に強い関心を抱くようになりました。
「庭」のシリーズは2020年頃から自覚的に取り組むようになったものですが、日常の観察や赴いた土地で得た断片的な記憶、自然の気配や触れた感覚など、そういったものがその場に宿っているような場所を仮に「庭」と呼んでみることから表現が始まりました。
本展で展示される新作について教えてください。
今回の展示では駒井哲郎さんの作品と自作が同じ空間に展示されますが、「庭」という共通のテーマは、今の時代を生き、身近な場所について思索する中で生まれたテーマだと思っています。
以前の作品では、絵画空間に描かれた形態や色彩の要素を現実空間に取り出し、展示空間全体を絵画の延長として構築するような作品も試みていて、それが最も顕著に現れたのが「パラランドスケープ〝風景〞をめぐる想像力の現在」展(三重県立美術館、2019年)の作品でした。当時は絵具を重ねるような感覚で空間に布を垂らしたり、素材を配置したり、あくまで描く行為の延長として展示空間をつくる意識があったのですが、イメージのあり方を模索する中で今度は逆に、大きなスケールに展開していたものを小さな紙面に構築するような感覚が芽生え、作品が再び絵画へと立ち戻っていきました。そして2020年を機に、コラージュ的な再構成の要素を含んだ「Noisy Garden」シリーズを制作し始めた経験が、結果的に今回の異素材の組み合わさった新作にも繋がっていると思います。
様々な土地を訪れることは作品制作にどのような影響を与えているのでしょうか。※
2015-16年の仏留学では、画家たちが生まれ育った町を訪ね歩くということをテーマに、フランス(特に南仏)、ベルギー、オランダ、スペイン、イギリスなどを周遊しました。その際に最も関心を抱いていたのが、土地の光、光によって生じる色彩、そして画家たちが愛着を持って過ごした土地という3つの性質が、絵画表現とどのように関係しているのかを紐解くことでした。
例えばニースやヴァンスを訪れた際には、マティスが海沿いの町で絵を描き続けることにより、その土地を照らしだす眩い光線状態が絵画に鮮やかな色彩を生みだしたこと、カットアウトに用いられたエッジの効いた輪郭線や色相対比への影響などを考えさせられました。セザンヌが生涯過ごしたエクスの街に降り注ぐ光の色や、サント・ヴィクトワール山を望む丘の風景も特に忘れがたい記憶として残っています。1人の人間が特定の場所で絵を描き続けるということは、自ずとその土地に内包される事象から何らかの影響を受けていて、それが表現の重要な要素の一つとなっているように感じられました。画家たちが眼にしていた風景の片鱗に触れるために転々と訪ね歩いた経験は、帰国してから自身の表現の展開を考える上でも大きなきっかけになったと思います。特に留学を機に色彩が大きく変化したように感じていて、より開放的に、絵の中で様々な表情を持つようになったという実感がありました。人々の暮らしの姿や自然、場所を取り巻く多様な関係性が絡みあって、一つの環境ができるということ。訪れて初めて体感する、その土地の持つ色に触れることをとても大事にしています。
1 稲垣美侑《ゆれる草花》|油彩、水彩、カットキャンバス、水彩紙、キャンバス|2022年|個人蔵
2 稲垣美侑《メジロと水仙》|油彩、キャンバス|2021年|
3 稲垣美侑《View from the island 島からの眺め》|「パラランドスケープ "風景"をめぐる想像力の現在」(三重県立美術館、2019年)展示風景
photo:尾﨑 芳弘 / DARUMA
4 稲垣美侑「所在の輪郭」(東京藝術大学絵画棟、2017年)展示風景
photo:縣 健司
2022年8月17日/稲垣美侑氏アトリエ
図録Book1掲載インタビュー文より抜粋・編集
(※印の項目はweb掲載のみ)
稲垣美侑 INAGAKI Miyuki
1989年神奈川県生まれ。東京藝術大学大学院博士後期課程博士号取得。庭や空き地、住居等をモチーフに、土地や風景、個人との相互作用的な関係性によって生起されるイメージを考察し、ペインティングやインスタレーションによって再構築する。
佐野陽一
ピンホールでの制作を始めたきっかけと変遷について教えてください。
学生時代に写真作品をつくり始めて、割と大きめのモノクロームのプリントで、風景を分割して撮影して、それをまた組み合わせるような作品をつくっていました。当時、写真家の山崎博さんが非常勤講師をされていて、8×10インチのフィルムの空箱を色々なところからかき集めてくださって、それを加工して1人1台、ピンホールのカメラをつくるという授業がありました。それは純粋なピンホールなので、切金という非常に薄い銅板に穴を開けたもので撮影するんです。卒業する時、暗室を自分でつくらずに制作を継続していく方法を考えて、もう一回根本的、原理的なところに立ち戻ることにしました。あらためて写真について考えてみたい、つくってみたいというところで、自分でもピンホールを始めたんです。授業のカメラを縮小したものをつくり直すことにして、今度は4×5インチサイズのカメラをつくって、カラーのポジフィルムを使って撮影することを始めました。
ポジフィルムなので、僕は撮影をするだけで、それ以降の現像などの作業は全てラボに任せます。暗室作業は、すごく身体や手、感覚を使っていくのですが、そういうことから一旦離れて、写真の作品をつくることはできないか。写真に限らず何かものをつくっていく上で、自分の手が入る部分をなるべく無くしていったところに残る核のようなものがあるんじゃないかという、漠然とした予感めいたものがあったんです。
本展に出品される温室のエスキースのシリーズについて教えてください。
家族で井の頭自然文化園に行った時、象舎の横に温室があったんです。その日はたまたま天気もよかったので、普段あまり持ち歩かないんですけれど、カメラ(2000年以降、中判カメラを使用)も持参していて。温室に入った瞬間に、1面を除いてほとんどガラス張りで、すごく眩しい空間というか、光に満たされた空間だったんですよ。まるで自分がカメラの中に入ったような感覚を覚えました。もしも自分の身体がすごく小さくなって、普段使っているカメラの中に入って風景を見たら、こんな風に見えるのではないかなって想像して。それがきっかけになって撮り始めました。それまでは、川や湖、池とか自然の風景を撮っていたのですが、温室の建物はそれとはまったく異なる人工的なものですよね。古い建物だったので、色々な鉢植が通路や回廊の部分に乱雑に置かれていたりしました。人工的な器ではあるけれども自然が野放しになっている状態、そのバランスがどこか変だなと思ったんですね。
最後に撮影したのが2013年頃だと思います。個展で発表したものは数点しかなくて、未発表のものがエスキースっていう状態でたくさん残っていたので、それを今回展示してみようかなと思いまして。僕は8×10インチサイズのプリントのことをエスキースと呼んでいてあまり展示することはないのですが、画家のスケッチではないですけれど、そういう意味合いで展示できればいいかなと思っています。
被写体や取材地は、どのように選ばれているのでしょうか。※
撮影場所というのは普通の観光地が多いです。年に何度か家族旅行をしていて、そういう時に撮影しているんですよ。わざわざ撮影の予定を組んで行くというよりは、旅行がてらというのが多いですね。家族もそういうものだと思っていて、晴れていれば大体日中は別行動という感じ。基本的に撮影はどの季節も晴れた日にしています。曇ってしまうと光が弱いので、物の形や、色が全く出ないんです。季節にかかわらず、晴れ・快晴というのが一番いい状態で、あとはなるべく日中に近い時間帯に撮影しています。たまたま行った先で撮影をして、出来上がったもの、掬い取ったものがいいなって思うと、またそこに行ってみることが結構あります。一度きりの場所というのはあまりないんです。奥日光なんかは春と夏と冬と、いくつかの季節で同じ場所に行っていますね。撮影している場所も、ほとんど同じだったりします。
不思議と1回では満足できないんですよね。何かまだ取りこぼしているものがあるな、もう1回行ってみよう、みたいな感じで行きます。ただ、何度も行くと今度は慣れが生まれてきて、その状態のままやっても仕方がないので、もう一度同じ場所や被写体を相手にして、違ったものが生まれないか、掬えないかなということを考えています。
1 佐野陽一《造形大1号館》(学生時代の課題作品) | 1992年 | ゼラチン・シルバー・プリント | 作家蔵
2 佐野陽一 | tropiquesのためのエスキース | 発色現像方式印画 | 2012-13年 | 作家蔵
3 佐野陽一《reservoir(夏)》(奥日光で撮影) | 2018-19年 | 発色現像方式印画 | 作家蔵
4 撮影風景 | 2007年7月31日野辺山にて
2022年7月16日/埼玉県立近代美術館 応接室
図録Book1掲載インタビュー文より抜粋・編集
(※印の項目はweb掲載のみ)
佐野陽一 SANO Yoichi
1970年東京都生まれ。東京造形大学卒業後、同研究生修了。ピンホール・カメラの原理を援用した手法で、山や湖畔、池、木漏れ日、温室などを被写体に、刻一刻と移ろい揺らぐ光の表情を捉えた写真作品を制作する。
東恩納裕一
インテリアや既製品を作品のモチーフにされていますが、そうした制作のきっかけを教えてください。
インテリアデザインに興味があったわけではありません。モチーフの多くは、全て生家の室内に身近にあったものですが、自分にとって必ずしも好ましいものではありませんでした。馴染んではいるけれど、決して好きにはなれないアンビバレントな感覚をひき起こす、逃げようもなくいつも目の前にある厄介なものでした。そのネガティブなインパクトは強いものだったので、そこに何か意味があるのではという思い、予感からモチーフに採用しました。
自分を捉えたそれらの多くはカタカナで“ファンシー”と呼ばれるもので、当時日本のどこの家庭にもあったチープで中途半端、趣味の悪いものです。例えば、建売住宅にお約束のようにある出窓を飾る白いケミカルレースのカーテンとか、リビングルームの丸い蛍光灯などです。ありふれていて、誰も気に留めるようなものではなかったものに感じる違和感を視覚化しようとしたのが、最初の制作の動機です。
アニメーション作品やダイニングセットのインスタレーションについて教えてください。
回転するダイニングセットのアニメーションと蛍光灯による“シャンデリア”は共に、インテリアのショールームでの個展(2001年)をきっかけに制作した作品でした。ダイニングセットのアニメーションについては、今回5つのアレンジしたヴァージョンを5台のモニタで再生するモニタ・インスタレーションとして展示するプランです。ダイニングテーブルについては、毎朝・夕の食事が行われる生活のルーティーンの場であり、それがループで回転し続ける様は日々の生活そのものを暗示させます。もともと、ダイニングセットのモチーフはインテリアの広告イメージからの引用でした。4脚の椅子は4人家族を理想的モデルとした幸福感の演出であることは明白ですが、繰り返して見ているとそのステレオタイプな表現がある種の押しつけにも思えて居心地悪さ、不気味さを感じます。それがダイニングセットをモチーフに採用した経緯です。
また、埼玉県立近代美術館には近現代の有名デザイナーによる多数の椅子のコレクションがあり、そこから4脚を選んでテーブルと組み合わせて仮設のダイニングセットを構成、展示します。それぞれの椅子はサイズもバラバラで、もともとダイニング用にデザインされてはいないので、組み合わされたダイニングセットはぎこちない、不揃いなものになると思いますが、そのチグハグさが効果的で面白いと思います。
他作家の作品が組み合わさることや展示空間について意識していることを聞かせてください。※
今回の「桃源郷通行許可証」では自分の作品以外にマン・レイやキスリングなど 他作家、デザイナーの作品を混ぜ込んだ展示になるので、全体を関連づけるキュレーション的な視点が必要かなと思います。2022年5-6月に、平和島の住宅二階で行った自主企画の展示(「Play Double」展、heimlichkeit Nikai)では、会場が通常のギャラリーのようなホワイトキューブではなく家具類やかつての住人の品々も残されていて、展示の難しさがあったのですが、実験的なことをする場としては向いているように感じました。また、自分のコントロールを超える展開を期待して、若手作家の山中春海さん(絵画、映像)にも参加していただき、会場の特性を活かした、ギャラリーではできないサイトスペシフィックな二人展が実現できたように思います。
住宅の室内とは違って、美術館の展示空間はニュートラルな白い箱なのですが、そこにただ作品を並べる、ということではなくて、作品を設置することで作品同士の関係性、文脈のようなものを作れたら、と思います。その意味で、平和島での経験が役に立つかもしれません。
1 東恩納裕一《The Little Match Girl》アニメーション、モニタ5台│2020-22年│作家蔵
2 「桃源郷通行許可証」展│東恩納裕一セクション展示風景
2022年7月13日/東恩納裕一氏スタジオ
図録Book1掲載インタビュー文より抜粋・編集
(※印の項目はweb掲載のみ)
東恩納裕一 HIGASHIONNA Yuichi
1951年東京都生まれ。日常的なインテリアや日用品に潜む違和感を、LEDや蛍光灯を使ったオブジェ、スプレーペインティング、アニメーションなど様々なメディア、手法を用いて複層的に表現する。
文谷有佳里
大学では音楽学部だったそうですが、制作のきっかけを聞かせてください。
音楽学部にいた時に、一番仲がよかった彫刻科の友達がマルマンの小さいサイズのクロッキー帳をいつも持っていて、真似して買ってみたんです。友達が描いていたような、作品メモというか落描きみたいな感じで授業中に自分も描いてみました。その友達がたまたま展覧会を企画する部活の部長で、2007年に二人展をやりました。クロッキー帳を一枚一枚剥がして、ガラスの窓に1000枚くらい並べたんです。そしたら美術学部の先生からもっとやれみたいな感じで声をかけられて。あ、やっていてもいいんだと思ったんです。
もともとビジュアルなことにはすごく興味があったんだと思います。作曲の専攻でしたけれど、曲がすらすらつくれないということをすごく悩んでいました。毎日焦りがあって、でも小さいクロッキー帳に1枚くらい描いたら、この日はとりあえずオッケーみたいな精神安定剤的なところもありました。どんな形ができるか、すぐ先もわからないのがすごく楽しくて。
大学院の時、取手の校舎に小さい図書館があって、そこの建築のコーナーで建築の直線を見て、自分の絵でも直線を描き始めました。ダニエル・リベスキンドを見たのだと思います。その時に細い線で描かれた図面やドローイングを建築の画集で見て、自分は細くて強い線に興味があるんだなと思いました。
カーボン紙を使った作品について教えてください。
カーボン紙の方が描く時にダイナミックに動くので、手の動きにスポーツ感があると思います。最近退官されたんですが、愛知県芸に山本富章先生という先生がいらっしゃって、卒業後も時々お会いしていて、ボールペンより細くて強い線が描きたいんだけれど、どうすればいいですかと相談したんです。そしたら、カーボン紙を紙に乗せて上から細くて硬いものでこすれば版画のように細くて強い線が描けるし、多くの制作工程もなくてその場でぱっとできるからやってみたら。“インスタント版画”だよ、と教えてくださいました。
カーボン紙は大体、葉書の1枚か2枚分くらいのサイズに切ります。一番端っこを小指で挟みながら描くとカーボン紙は勝手に付いてくるから、激しい動きをする時はそのようにしています。何をすればいいかわからない時は4歳の息子に隣にいてもらってカーボン紙を渡して、面白いことをやっていたらそれをまったく真似する。そういう時は、どんな動きをしたらどういう線が出るのかを遊んでいる感じですね。カーボン紙の方が色々なことができます。ボールペンだと一定の太さの線しか描けないので、その場ですぐに形が変わる、結果が変わるというような出力はできないんです。
本展では文谷さんの空間が最も建物の特徴がでていると思いますが、実際に見た時の印象はいかがでしたか。※
ここが自分にとっては一番、日常と連続的に考えられるような空間だと思います。一番変化がありますよね。この美術館自体が凄まじい建物だと思います。今回の展示だと入ってきた時、空間が全体的にばっと見えるので、壁に順番に展示するよりも高さのある立体の方が視覚的には混ざると思いました。最終的にどういうふうに見えるかはわからないですけど、多分いい感じになると思います。
最近知ったのですが、瀬戸市に昔つくられた団地があるんです。多分山を切り崩して、萩山台、菱野台、あと八幡台という3つの島になっていて、黒川紀章のデザインした都市らしいです(菱野団地)。全然知らなかったんですが、愛知にいたら色々なところに黒川さんが現れますね。ありがたいことに、黒川紀章さんの建築で何回も展示をやっているんです。名古屋市美術館と広島市現代美術館。だから逆に懐かしい感じがあります。名古屋市美の時は1ヵ月自転車で通ったので、最後の方はほぼ家みたいな感じになっていました。だから、埼玉は遠いけれど、帰ってきたみたいな感じがします。
1 文谷有佳里 | 初期ドローイング等 | 作家蔵
2 文谷有佳里《なにもない風景を眺める 2019.5.7》 | 鉛筆、カーボン紙、紙 | 2019年 | 作家蔵
3 「桃源郷通行許可証」展 | 文谷有佳里×菅木志雄セクション展示風景
photo:Sato Katsuaki
2022年7月11日/文谷有佳里氏アトリエ
図録Book1掲載インタビュー文より抜粋・編集
(※印の項目はweb掲載のみ)
文谷有佳里 BUNYA Yukari
1985年岡山県生まれ。東京藝術大学大学院修士課程修了。愛知県立芸術大学作曲専攻在学中にドローイングの制作を始める。ペンや鉛筆、カーボン紙を用いて即興的に様々な種類の線を描出し、紙上に身体的な空間を表出させる。
松井智惠
近年では絵を中心としたインスタレーションを発表されています。どのように現在の制作の形式に至ったのか教えてください。
小さい頃、家の近くにあってよく連れて行ってもらった大阪市立美術館は、ステンドグラスやエントランスのダンスホールのような空間が素晴らしい建物でした。そういった西洋文化にすごく憧れたし、美術館に行くのは本当に別世界の体験でした。この美術館という場所が、空間という概念を初めて持った場所だったと思います。インスタレーション作品を制作する中で、空間のもともと持っている意味は結局は何なのかということを考えるようになったきっかけですね。
ドローイングは80年代からずっと描いていますが、ビデオ作品を個展で発表する時には、必ず同時期のドローイングを3、4点並べます。このドローイングとビデオ作品に関連性はあまりないんですけれど、撮影や編集などの共同の作業をすると、最後にその映像から離れた作業がしたくなるんです。だから、こういう「絵」の作品と私のつくってきた様々なメディアの作品の関係というのは、常に寄り添って伴走していくものだし、ラフスケッチでもありません。どっちがどっちということではないんです。
インスタレーションでは鑑賞者は空間の中をうろうろと歩き回って見るわけですが、絵を見る時も絵の中で視線が動くので、コンパクトに今まで考えていたことができるかなと思って、今は絵の作品が増えています。
《青蓮丸、西へ》(本展出品作)を制作された経緯や、テキストの位置付けについて教えてください。
《青蓮丸、西へ》は道後オンセナート(2018年)の際に制作した作品で、温泉という、裸になることが前提になる場所での展示でした。服や靴に始まる防具を一旦全部外した人たちや、初めて美術を体験する人が見るという環境なんですね。自分も含めて緊張をほどかないと、見る人も圧迫されてしまうと思い、会場では作品と至近距離で地べたに座って見てもらえるようにしました。この時は前提として、私自身と道後、相互の歴史をベースに制作するというのがまずあって、設置する場所も旅館と決まっている。瀬戸内の歴史などのリサーチをかなり仕込みました。
テキストもドローイングと同じで、テキストを先に書いてから絵を描くわけではありません。テキストの挿絵ではなくて、文章と絵は伴走するもの。アトリエの机の上でテキストを打っていた時には、近くに絵を置いて、文章が進んできたら絵をちょっと見直すことを重ねていました。
最初にこの展覧会を「桃源郷通行許可証」(《青蓮丸、西へ》テキスト内に登場するモチーフ)にするというお話があった際に、この言葉の内容の理解と企画との関係を説明していただいたのですが、とても説得力がありました。ただ、作品タイトルではなくて、テキストの中に出てくる「通行許可証」というモチーフというところが実は味噌ですね。桃源郷許可証ではなくて、桃源郷“通行”許可証というところ。どういう風にこの展覧会のタイトルとして機能してくれるかは楽しみでもあります。
映像作品の制作について聞かせてください。※
編集段階では映像のラインがいくつも重なったり、音声のラインが何層も入っているのですが、それが絵を描く感覚と似ているんです。絵具をレイヤーにして重ねたり、塗り足して描き足していくというように、映像が動いている中で、どこの部分を1番強い色にして、薄くして重ねるかというのを調整するんです。時間の横長のタイムラインは絵巻物をつくっていく感覚にもすごく似ています。ただ毎回全部を見て編集することは大変なので、ある部分だけ作業して、次に前後の映像と合わせて様子を見て、また次というような作業を繰り返して、最後に通して一コマずつ調整するという流れ。それがレイヤーを重ねていく、透明度のある絵具を重ねていくということに感覚的に近いです。
動画編集は映像ができてから音を足す方法が一般的ですけれど、自分の場合はテキスト作品と一緒で、絵、つまり映像がある程度のラフスケッチでできてきたら、今度は音もラフで入れてもらうんです。それで、音の方からイメージして、ここでこの音だったら、こっち側の絵を入れた方がいいという風に変えていくんです。それが平面の制作の時の、油絵具の場合は拭き取りができるので消したり描いたり重ねたりという作業にとても近いです。テキストと絵を伴走しながら進めていくところも似ていますね。
1 松井智惠《青蓮丸、西へ》ミクストメディア│2018年│作家蔵│「桃源郷通行許可証」展 展示風景
2 松井智惠《Himalaya》映像│36分50秒│2003年
3 松井智惠《HEIDI 54-purusha》映像│18分30秒│2014年
©︎chie matsui
1 photo:Sato Katsuaki
2022年7月29日/松井智惠氏アトリエ
図録Book1掲載インタビュー文より抜粋・編集
(※印の項目はweb掲載のみ)
松井智惠 MATSUI Chie
1960年大阪府生まれ。京都市立芸術大学大学院修了。写真、映像、ドローイングなど幅広いメディアを用いて、詩的な物語を喚起させるインスタレーション作品を手がける。SNS(インスタグラム、フェイスブック)に毎晩一枚ずつ、「一枚さん」を公開中。
松本陽子
表現を確立する上で、初期のアメリカでの経験はどのような影響がありましたか。
当時の藝大というのは想像に難くないようにとても古風なアカデミズムがあり、アメリカの芸術とは無縁でした。卒業後結婚してすぐアメリカに行く機会ができ、最初にニューヨーク近代美術館へ行きました。ピカソの《アヴィニョンの娘たち》やマティスの《ダンス》を見た時、これまで見てきたもの、学んだことがすべてひっくり返されたような衝撃を受けましたね。あとは、ポロックをはじめとする一連の抽象表現主義の作品を見て、あらためて今まで何年間かやってきたことを全部捨てなきゃダメだなって思いました。そんな時、マンハッタンにいる日本人のアーティストのアトリエにお邪魔して、アクリル絵具に出会ったんです。その当時アクリル絵具って、ミニマルアートのために開発された、描くというより塗る絵具だったんですけれど、私はこの絵具の水性というところに魅かれて、これで何か新しいことができるんじゃないかなと思うようになりました。独自の水墨画のような空間を表現するのが自分の理想だった。それを実現するために試行錯誤を繰り返し、気の遠くなるような時間がかかりました。
制作の様子や展開について聞かせてください。
アクリルの制作はいつもキャンバスを床に置いて、屈んだ状態で四方から描き進めていきます。キャンバスの中に入って、筆や布を使いながら、描いたり拭き取ったりして、1日8時間くらい制作します。あるきっかけがあって油絵に戻るまで、アクリル画は35年くらい続けました。
今回出品する《宇宙エーテル体Ⅰ》(2003年)ができた、いわく言い難いエピソードがあるんですよ。ものすごく冷夏で、いつも1日で完成するのですが、その日は日光と風が足りなかった。翌日アトリエで生乾きの状態に色彩と筆を加えたらなんとか作品になったんです。その年のαMでの個展で発表したところ、思いがけず大きな反響をいただきました。アクリルはどんな作品も1日で仕上げると決めていたんですが、この絵はマイナスな自然条件と自分の気持ちが合わさって2日間かけて完成した作品です。この作品を前にした時、床にキャンバスを置いて描くピンクの作品は、もうこれで終わりだなとなんとなく感じたんです。
そうした精神的な思いと、あとは身体的な問題が重なって油絵へと移るんですが、アクリルの制作は肉体への負担が大きかった。身体の悲鳴が大きくなって、そうだ、またキャンバスを立てて描くこともできるじゃないかと思ったんですよ。それで何十年ぶりかに再び油絵に向き合うことになりました。
アクリル作品はピンクを主色にしていましたが、以前からグリーンの絵をいつか描きたいとは思っていました。その大きなきっかけとなったのは、「西村盛雄・松本陽子」展(神奈川県立近代美術館、2005年)の開催前に、当時の担当学芸員の是枝開さんが、いつかグリーンの絵を描きたいと私がインタビューで語った記録を持ち出し、このタイミングで描いてみませんかと後押ししてくださったんです。《振動する風景的画面》(2017年、本展出品作)はある意味理想の絵画ですね。見る者に迫ってくるような空間が描けたと思います。
アクリルでの制作の中で印象に残っている作品はありますか。※
それぞれの作品に思い入れはあるんですけど、振り返ると、1995年は制作においてとても充実した年で、300号とか大きなキャンバスに次々と向かっていました。《生成と解体》(1995年、本展出品作)もその年に制作したものですが、ようやくこの技法を自由に操ることができるようになって、この頃はダイナミックでより動きのある画面に挑戦していました。キャンバスに現れる一瞬の光だったり空間だったり、これだというものを逃さない瞬時の判断や感覚も、この時期までに養われていたんだと思います。ピンクのアクリル画を始めてから20年、修練ですよ。
今回出品するグリーンの油彩画と同じタイトルの《振動する風景的画面 IV》(1995年)という作品もこの年に制作したんですが、5月の末くらいだったかな、初めて試みる300号の大きな画面だったので、一日が時計通りじゃなくゆっくり進んでほしかった。いつもは色面を意識するのですが、その日は、なにか生き物に追われるような、増殖する筆のタッチに追いかけられているような感覚で描いたのを覚えています。2m×3mのキャンバスを床に置いて、その中に実際に入って描くわけですから、時間や空間もいっさい忘れてしまうんです。なにも考えられず、意識もなく、ただ一日中、キャンバスの中心も周りも私の身体も、すべてが一体となっているようでした。いつものように日が傾いて手を止めると、忘れていたはずの私の時間や空間は、キャンバスの中には確かにあって、それを認識した時ようやく、私は絵から抜け出して現実へと戻ることができるんです。
1 松本陽子《宇宙エーテル体I》|アクリル、キャンバス|2003年|東京都現代美術館蔵
2 松本陽子《振動する風景的画面》|油彩、オイルパステル、木炭、キャンバス|2017年|UESHIMA COLLECTION蔵
3 松本陽子《振動する風景的画面 IV》|アクリル、キャンバス|1995年|作家蔵
©︎Yoko Matsumoto, Courtesy of Hino Gallery
1,2 photo: Sato Katsuaki
2022年6月30日/松本陽子氏アトリエ
図録Book1掲載インタビュー文より抜粋・編集
(※印の項目はweb掲載のみ)
松本陽子 MATSUMOTO Yoko
1936年東京都生まれ。東京藝術大学卒業。1967年から翌年にかけて滞在したアメリカでアクリル絵具に出会い、帰国後本格的に制作に着手する。1980年代から90年代にかけてピンクを主調とした独自の抽象絵画を確立する。2005年以降、再び油彩画を制作する。